ハッピバースデートウーミー

52歳になりました。

月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。
という、松尾芭蕉「おくのほそ道」の書き出しはあまりにも有名です。月日は永遠の旅人であり、来ては過ぎる年もまた旅人のようなものである。実はこれ、自分は「光陰矢のごとし」と同じような意味だと勘違いしていたんですが、「年月は旅人のようなものだ」という意味だったんですね。52歳を迎えた自分は、今、52回目の旅に出たのでしょう。
さて、毎年誕生月を迎えると、年齢の数字でググって調べています。今年もさっそく、グーグル検索窓に「52」と入力し、ボタンをポチッと。一番最初に表示されたのは、「52 – ウィキペディア」という項目です。「52(五十二、ごじゅうに、いそふた、いそじあまりふたつ)は、自然数また整数において、51 の次で 53 の前の数である。」とあります。このへんはまぁ当たり前ですが、「ジョーカーを除いたトランプの枚数は52枚」「任天堂の家庭用ゲーム機、ファミリーコンピュータで画面に発色できる色数は52色」「グランドピアノの白鍵の数」「52ヘルツの鯨は世界でもっとも孤独とされる鯨」などは興味深いですね。画面の色数は2の倍数(2、4、8、16、32、64、128、256)だと思っていたので、ファミコンの色数もてっきり128色、少なくとも64色かと思っていました。52という数字はどこから割り出されたんでしょう。気になったので調べてみたら、グレースケールは16色相表示出来るわけではなく実際には13色相で、それが4段階なので13×4で52色、という計算になるそうです。でもこれはあくまでもファミコンが生成できる色であり、実際に使える色は52色中25色なんだそうです。ちなみに自分が初めて買ったMacintosh「Performer5210」では、256色の画面で仕事してました。「52ヘルツの鯨は世界でもっとも孤独とされる鯨」と言われると、「52歳がもっとも孤独な人間の年齢」と言われているような気がしてしまいます。
次に、「52歳」で検索してみましょう。まず最初に出てきたのは「52歳の有名人」でしたが、これは毎年同じ顔ぶれなので飛ばしましょう。ちなみに同学年で言うと古田敦也、中森明菜、さくらももこ、沢口靖子、YOSHIKI、太田光、江頭2:50、香川照之などです。「52歳の平均年収(2014)」は全体で732万円、男性だけだと762万円だそうです。「マヤ歴では人生の節目が2つあり、それが26歳と52歳だ」と書いているサイトもありました。赤・白・青・黄の時代がそれぞれ13年づつまわってくるので、13×4で52年。何だかファミコンの理屈と似ています。「訃報ドットコム」の「52歳で亡くなった人々」によると、三波伸介、石原裕次郎、美空ひばり、東八郎など「え、そんな若かったの?」という人ばかりです。自分も気をつけねば。
試しに「52歳 岡野匡晋」で検索してみたら、何故か全然関係の無い「小川菜摘のブログ」がヒット。どうやら52歳だけのキーワードでヒットしたようです。

自分の名前について

自分は、自分の名前があまり好きではありません。一番の理由は読めないからです。人生の中で、初対面の人に正しく読まれた記憶がありません。高校の体育の授業の際、校庭で短距離走だかハードルだかのタイムを順番で測っている時に一人ひとり名前を呼ばれるんですが、体育の教師は当てずっぽうで「おかのただしん!」と大きな声で読みあげました。「ただしんって、誰だよ」と内心思いながらも名前を正しく読まれないのはすっかり慣れっこになっていたので、今更訂正もしませんでした。「きょうしん」と呼ばれた時もあります。漢字のセレクトも好きではありません。「岡野匡晋」って四角だらけで柔らかさのかけらも無い漢字だらけです。それに、電話で名前の漢字を伝えるのが超面倒くさい。「国という字の右縦棒と点のないやつ、『ただし』って読む漢字に、普通の普の上の点がない『しん』って読む漢字」と丁寧に伝えても、理解してもらうのに時間がかかる場合があるし、間違われる場合も結構あります。郵便物もよく間違われるのですが、「匡普」「筐普」などはマシなほうで、「馬普」なんていうひどい宛名もありました。それでも届いちゃうんだから不思議です。聞くところによると、父の姉がお坊さんに頼んで「匡晋」と命名してくれたそうですが、もう少し何とかならなかったんでしょうか。「嫌い」ではなく「あまり好きではない」と書いたのは、不満はあるとはいえ親につけてもらった名前だし、もう52年間この名前で生きてきたので、「嫌い」にはなれないからです。それに、「匡晋」という名前の人はたぶん自分だけでしょうから、「オンリーワン」と考えればそう悪い気もしません。
確か井沢元彦の「逆説の日本史」に書いてあったと思いますが、欧米では「マイケル」「ポール」「ピーター」「ジェームズ」「メアリー」など、ポピュラーネームをつける人が多いのに対し、日本ではキラキラネームに代表される、個性的な名前をつけたがる人が多いのだそうです。それは日本には古くから「言霊信仰」があり、なるべく本名を口に出して読まない(災いにつながるから)習慣があったとか。「卑弥呼(日巫女)」「聖徳太子」「清少納言」などは役職のようなものですし、それは今も名前ではなく「社長」「部長」「先生」などと呼ぶ習慣として残っています。だから日本人は個性的な名前をつけて、無意識のうちに「簡単には読ませない」ようにしているんだとか(全てうろ覚えなのであしからず)。そういう意味では、「匡晋」は最高の名前なのかも知れないし、キラキラネームの走りだとも言えるのではないでしょうか(キラキラしてないけど)。
そういえば、これまで不思議と「匡晋」という文字だけで検索したことがありませんでした。この機会に、実際にやってみましょう。グーグルの検索窓に「匡晋」と入力して、ボタンをポチッと。まずトップに表示されたのは、「匡晋 | 人名漢字辞典 – 読み方検索」というサイトでした。ここでは、「匡晋」は「まさあき」と読む、と解説しています。……違うじゃん。6番目に表示されたのは、「「匡晋」の男の子の読み方 – パパママいい名前つけてね」というサイトでした。これによると「匡晋」は「まさしん」「まさくに」「まさゆき」「まさあき」「きょうしん」「きょうくに」「きょうゆき」「きょうあき」「ただしん」「ただくに」「ただゆき」「ただあき」と読む、と解説しています。……自分の読み方がないじゃん。これじゃあ、人生で一度も正しく呼ばれた経験がないのも無理はありません。
今回「匡晋」を検索してみて一番驚いたのは、世の中に、自分以外に「匡晋」という名前の人が結構いるんだという事実です。ちなみに芹江匡晋さんは有名なプロボクサーで、「まさあき」と読むんだそうです。自分も「まさあき」のほうがよかったな。でも「まさあき」だと、時代的にも自分のあだ名は「マチャアキ」になってただろうな。他にも5人以上の「匡晋」さんが世の中にいるようです。この中で、自分の名前が好きな人は何人ぐらいいるんですかね。というわけで、「匡晋」は全然オンリーワンな名前ではありませんでした。それだけが心のよりどころだったのに。しかし、「匡晋」と書いて自分のように「●●●●」と読む人は、もしかしたらこの世に自分だけかも知れません。せめてそうであって欲しいものです。
ちなみに自分の名前の読み方をあえて伏せ字にしているのは、読み方を知っている知人と知らない人を区別する「パスワード」のようにも使用しているからです。「岡野匡晋」を正しく読めたあなた、私にとってあなたは立派な「親しい知人」です。