「女のいない男たち」と「職業としての小説家」を読んで

「騎士団長殺し」で盛り上がる中

「騎士団長殺し」はまだ購入していません。「ハードカバーだと読み終わった後に場所を取るから、文庫化されてからでもいいかな」という気持ちが強いのと、前作の長編「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は発売日の朝に購入したけど期待外れだったのと、文庫化された「女のいない男たち」「職業としての小説家」を買ってしまったからです。寝る前は関祐二の古代史関連本ばかり読んでいたので、この2冊はしばらくほったらかしにしていました。そのうち関祐二の本を読み終えてしまい、じゃあ久しぶりに村上春樹でも読むかな、ぐらいの気持ちで「仕方なく」読み始めたものの、しばらくすると忘れかけていた村上春樹ワールドにまんまと迷い込んでしまって、読み終える頃には「ハードカバーでもいいから『騎士団長殺し』買っちゃおうかな」という気持ちにさえなっていました。
というわけで、今月も再び村上春樹のお話です。

「女のいない男たち」を読んで

「女のいない男たち」は2014年4月に発売された短編集で、2016年10月に文庫化されたので購入しました。「ドライブ・マイ・カー」「イエスタデイ」「独立器官」「シェエラザード」「木野」「女のいない男たち」という6作品が収められています。
村上春樹の短編は概ね読んでいるはずです。面白い作品もあれば面白くない作品もありました。彼の作品を「森系(ざっくり例えるとシリアスな作品)」と「羊系(ざっくり例えるとパラレルワールド作品)」とに大別すると、自分は圧倒的に「羊系」のほうが好きです。「木野」はわかりやすい「羊系」だったので面白かったですね。次回の長編はこれを土台とした作品だったらいいな、とさえ思います。他はどちらかというと「森系」でしたが、読みやすくてなかなか面白かったです。ただ、最後の「女のいない男たち」は何を言いたいのかさっぱりわからなかったし読みづらかったので、一番面白くありませんでした。
「女のいない男たち」の主人公は「僕」ですが、それ以外はどれも「家福」「木樽」「渡会」「羽原」「木野」など馴染みの薄い名字ばかりだったので、最初の「ドライブ・マイ・カー」を読んだ時は「家福(かふく)」が主人公の名字だと理解するのに数ページを要してしまいました。「シェエラザード」は「羽原」を世話する謎の女の仮称で、自分は「シェヘラザード」だと思っていたので違和感を感じましたが、日本での演奏会、録音媒体などでは「シェエラザード」と表記されることが多い(byウィキペディア)らしいですね。この作品はスーッと読んでしまうと謎だらけでオチがなく、「だから何?」とつい思ってしまいます。面白いんですけどね。しかし、小説に出てくる手がかりから「実はこの二人は○○で、羽原は○○○○なのではないか」と推理している読者のブログを読んで、なるほどねぇ、そういう解釈もできるのかと感心してしまいました。自分は繰り返し本を読むタイプではないので、読んだらそれっきり、理解できなかったらそれっきりです(自慢できることではありませんが)。でもきっと、村上春樹のような作品こそ、繰り返し読むとまた違った発見や理解が得られるのでしょうね。でもきっと、読まないですけど。

「職業としての小説家」を読んで

小説について語った「職業としての小説家」は2015年9月に発売されたエッセイで、2016年10月に文庫化されたので購入しました。小説を書くためのテクニック的な話も出てきますが、作品づくりに対する彼の考え方、取り組み方、作品の出来上がる経緯などが具体的に書かれているので、興味深い内容ばかりでした。もちろん、1978年4月のよく晴れた日の午後に神宮球場へヤクルト×広島戦を観戦に行き、トップバッターのデイブ・ヒルトンが鋭い二塁打を放った瞬間に「小説を書いてみよう」と思い立ったという有名なエピソードも再び書かれています。もしかしたらこの時のデイブ・ヒルトンの二塁打は、世界一有名な、あるいは世界一活字で紹介された二塁打なのではないでしょうか。
第9章で、彼は「登場人物に名前を与えることが長いあいだできませんでした」と書いています。「鼠」「ジェイ」などの呼び名はオーケーだったけど、きちんとした姓名をつけるのが恥ずかしかったそうです。しかし「ノルウェイの森」を書くときに「名前付け」を断行し、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」のように主人公の名前がタイトルになる本まで書くようになった、そうです。「女のいない男たち」に出てくる主人公たちの名前といい、「多崎」といい、「1Q84」の「青豆」といい、あえてメジャーな名字をセレクトしないこの感じ、何かに似ている気がします。それは、映画に登場する日本人名です。例えば「ダイ・ハード」に出てくる社長は「ナカトミ」(中臣鎌足から来ているのか?)だったり、「ティファニーで朝食を」の隣人は「ユニオシ」だったり。日本人にとっては違和感を感じる名字ですが、外国人の考える日本人の名字はこんなものなのでしょう。もしかしたら、村上春樹は外国人にとっての響きのいい点も考慮しつつ日本人名をセレクトしているのかも知れないな、と、この本を読んで思いました。
第6章では小説に対する時間のかけ方について書いています。彼の場合、第一稿を書き上げ、少し間を置いて2ヵ月ぐらいかけて書き直し、1週間ほど置いて2回目の書き直し。また一服してから次の書き直し。さらに1ヵ月ぐらい長い時間をかけて寝かせたあと、再び細かい部分を徹底的に書き直す。この段階で奥さんに読んでもらって批評を受け、その部分を書き直し、それについてまた討論し、必要があれば書き直し、ある程度片が付いたところでまた頭から書き直して全体の流れを調整する。出版社に渡してゲラになってからも、出版社がうんざりするくらい何度も書き直す。「やるべきことはすべてやった」と思えた段階でようやく完成、なんだそうです。正直、ここまで時間をかけているとは思っていませんでした。デザイナーというのは与えられた制約の中で妥協点を見いだし、最大限効果的な制作物を仕上げるのが仕事ですし、制約があるからこそ成り立つ仕事でもあります。だいたい、こだわりの強すぎるデザイナーは使いづらくて敬遠されてしまうでしょう。ただ、時間的制約も多い職業ではありますが、会社の先輩から(TさんだったかKさんだったか)「時間が無いのを言い訳にするな」と教えられてきたので、今でも肝に銘じています。多くの作家は数々の制約の中で作品づくりをせざるを得ない状況だと思いますが、村上春樹の場合はそういう創作スタイルを自ら確立していったし、結果も残してきたというのが凄いと思います。「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」ならぬ「締切を持たない村上春樹と、彼の創作スタイル」が、多くのハルキストを生み出してきた一因なのだなと、この本を読んで改めて思いました。

突然ですが、仕事場を移転しました。

ほんと突然で申し訳ありませんが、4月から仕事場をお台場に移転しました。その理由につきましては特設ページを作成しましたのでこちらをご覧ください。あまりにも突然の決断だったため、仕事関係者の皆様にも一切ご連絡できませんでした。改めてお詫びさせていただきます。新しい仕事場はかなり広々としていて見晴らしもいいので、お近くへお越しの際はお気軽にお立ち寄りください。